戻ボタン⇒トップページ
・C.P.I.の会員になる(海外に友だちをもとう)
リビング新聞京都1989年12月9日
教育里子制度のスリランカ側責任者に取材
記事画像
----- 以下掲載記事全文
≪スリランカと日本の交流をはかるウダガマ・スマンガラさん≫
− プロフィル −
1943年スリランカ生まれ。僧侶。
ケラニア大学で仏教哲学を専攻。同国で高校の副校長を務め、
1978年に文部省の国費留学生として来日。
大谷大学仏教学博士課程を修了。(中略)
スリランカの日本教育文化センター総裁として両国の交流に活躍。
1987年に、C.P.I.教育文化交流推進委員会と共に、
「教育里親・里子」制度を開始。
ひょっとして、あなたも町ですれ違ったことがおありでは?
オレンジの僧衣を肩から巻きつけ、流暢な日本語で話すスマンガラさん。
インド半島のそばにある島、旧セイロンのスリランカから日本に来て
今年で11年目のスマンガラさんに映った日本は?
―日本に留学を希望されたのは?
「いろいろあるのですが…、まず同じ仏教国であり、
アジアで一番平和で豊かな国であること。
そしてスリランカが援助を受けている国でもありますから。
スリランカのラジオやテレビでも、割合日本のことを知ってました。
もっと日本を学んで両国の交流をよりはかれたらと思いました」
―スリランカには親日家が多いんですねェ。
「そうです。私の国の公用語のシンハラ語に
”ジャパナ ワゲイ”という言い方があります。
”日本人のようです” と訳せますが、
一所懸命よく働く人に対して、ホメ言葉として使われてます。
ほかにも”ジャパナ ハバナ”
これは”日本人は器用です” やはり器用な人へのホメ言葉なんです」
―日本で意外に思われたことは?
「子どもの自殺が多いのには驚きました。
スリランカでは全く考えられないことです。
モノもいのちもあまり大事にしないのは、便利で豊かすぎるから?」
―来日以来、ほとんど京都に住んでこられてますが。
「スリランカへは1年のうち何回か帰ります。
11年たった今はもう、京都はふるさとみたいな感じですね。
それは最初から、いい人に次々出会え、
また、良くしてもらったからですね、きっと。
ただ最初の冬は寒さがつらかった。
朝までに死んでしまうかも、と思ったくらい」
「それと京言葉の”考えておきます”という表現は、難しい。
外国人は本来の意味通りに日本語を覚えるので、わかりにくく困ります。
国際化にはそぐわないのでは」
《中略》
「京都に限ったことではないと思いますが
自分の宗派だけを宣伝し、寺を観光化しているお寺が目立ちますね。
各宗派の総本山が京都には多くあるだけに、特に感じます。
なぜ宗派を超えた、大きな仏教活動がされないのでしょう。
文化・社会活動をするYMBAの活動は、スリランカで盛んな活動です。
仏教の精神をもった若い人を育てたいですね。」